加盟団体

三鷹市空手道連盟

 

■空手道とは?
空手道とは、もともと沖縄(琉球王国)発祥の武術でして、古来は「手(て)」または「唐手(とうで)」と呼ばれ、一部の者達に極秘裏に修練されて来ました。体のあらゆる部分を使って「突く」「蹴る」「投げる」などの伎は、「形」として代々継承されてまいりました。
本土には大正年間に紹介され、その間、剣道や柔道といった本土武道の影響を大きく受け、「空手道」という武道哲学へと昇華されました。特に戦後から一般的に普及しはじめ、昭和30年代に、実際に相手と向かい合って戦う「組手」の競技化がされたことにより、高校・大学などでの稽古が盛んになり、また一気に世界中に普及いたしました。現在、世界空手道連盟は、187の国や地域から構成され、競技人口も6000万人を超えていると言われております。2020年の東京オリンピックには正式種目として加盟することが決定し、三鷹市空手道連盟も末端機関として、この世界空手道連盟及びオリンピック競技大会の助を担っております。

 

■空手道の魅力について
空手道は、色々な側面を持った武道です。ある者には、万事に備えた保護術として。またある者には、大会での優勝をめざすスポーツとして。そしてまたある者には、一生涯できる健康法として、また武道哲学として・・・・・・。一般的に「危険」と思われる空手道の実際の稽古法は、主に、古来より伝わって来た「形」による一人稽古であるため、特に道具や場所も必要としません。また一人稽古の場合は怪我もいたしません。実際に相手と向かい合う「組手」競技の稽占も、安全性を考慮したルールやプロテクターの開発により、誰しもが楽しめるものとなりました。
少子高齢化という時代を反映してか、三鷹市空手道連盟の会員も、最近は中高年が多いように思えます。これも「誰でも安全にできる」という、「生涯武道」の側面を大きく持った空手道こそ魅力かもしれません。

 

■連盟のあゆみ
1970年(昭和45年)に富士工業空手道部のメンバーが中心となって創立し、1971年(昭和46年)に三鷹市体育協会に加盟いたしました。加盟数年後には、世界的なブルース・リー・ブームが起こったことから、三鷹市空手道連盟には多数の空手団体が所属し、大変な賑わいを見せたそうです。
70年後になるとブルース・リー・ブームも去り、空手道自体の人気も一気に鎮火していましたが、1982年に(昭和57年)に連盟に再編成して再出発いたしました。1991年(平成3年)4月に、石井良司会長、北岡恒久理事長を中心に新体制を構築、第一三鷹市空手道選手大会から優良団体の表彰を受け、また1994年(平成6年)4月には、東京都空手道連盟にも加盟いたしました。
2020年の東京オリンピックには、空手道が正式種目として採用されたことから、現在、世界では空前の空手道ブームが起きております。三鷹市空手道連盟からも、このオリンピックに参加できる選手・審判員を育てられるよう、会員が一丸となって稽古に励んでおります。

 

■年間行事
当連盟の行事は、年の初めに開催される寒稽古から始まります。寒い冬での稽古は、心身を鍛え上げるのに最適であり、まさに武道の理念に通ったものでもあります。また寒稽古の後に開催される新年の懇談会は、指導員、生徒、そして保護者との交流の場であり、三鷹市空手道連盟の結束を深める重要な役割を果たしております。
春になりますと、地区大会、東京都大会、全国大会と、数多くの大会が開催されますので、生徒の多くは、積極的に大会に参加するように努めてまいります。
三鷹市でも、毎年、「三鷹市空手道選手権大会」を開催しております。この大会は、当連盟の最大イベントでもあります。この大会のために、近隣の市区からも審判員の先生方を紹介してお手伝い頂いております。
秋も後半戦になりますと、大会の一段落することから、各道場では、競技としてではなく武術としての稽古に勤しみます。その間、連盟としては、著名な空手家の先生を紹介して技術セミナーを開催したり、またオリンピックを念頭に置いた審判講演会を開くなど、常に一年を通して忙しい日々を送っております。

役員

会長
石井良司
理事長
北岡恒久

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